転職しまくりの人生
こんばんは。
金曜日、関西テレビよ〜いドン!を観てくださった皆様ありがとうございました。
インスタグラムのフォロワーが増えたり、インスタグラムにDMが届いたり
友人から観たよ!と連絡が来たり、
うれし恥ずかしでした。
おしえて凄腕ワーカーという仕事人を追うコーナーに密着していただいたものを放送していただいたのですが、
観てくださった方はお分かりかと思いますがわたしのまあ華麗な転職歴w
今となってはもう忘れかけていましたが
わたしは歯科衛生士の学校を出て、国家試験に合格し、歯科衛生士として地元の歯科医院で3年間勤務していました。
院長先生、
優しかったしお世話になったなあ。
新卒の何にも仕事が出来ない私を雇ってくださって社会人にして下さり、
本当に感謝しています。
ただ、歯医者さん以外全員女性という環境が好きだったかと言えば
完全にNOです。
仕事内容ではなく女性特有の人間関係に疲れていました。理不尽な事を言われることもすごく多かったし息苦しかった。
そして何より、
歯科衛生士として独立開業は出来ないという将来が小さく思えてきて、
仕事を覚えれば覚えるほどに焦りを感じていました。
歯科衛生士としてどうなりたいのかもどこを目指していいのかもわからない。
そんな20代前半でした。
だいぶ大人になった今昔の自分に思うのは
精一杯頑張ってたんだねってこと。
もがきにもがいた挙句、
3年働いても今と同じ気持ちだったら歯科衛生士は辞める。と心に決めて
趣味や新しい人間関係を模索しながら
夢中になれるものを探しました。
今まで知らなかったジャンルの音楽を教えてもらったり、
地元以外に仲のいい友達を作ったり。
そんなこんなでお世話になった歯医者さんは卒業し、
色々やってみたけど
それでもやりたい事は見つからず。
わたし、このまま30歳を迎えるのかなあ?
結婚して、子供を産んで、
そんな感じで時間が流れるのかな?
やり残したことは?
これからの人生どうする??どうしたい?
東日本大震災の後だったこともあり
いろんな意味でこれからの生き方に悩み葛藤していました。
今までやったことがないことをやってみたい、
そしたら自分の人生変わるのかな?
そうして見つけたのが
海外でボランティアをする、
ということ。
インターネットを駆使して調べて調べて調べ尽くして、
英語もできないわたしをボランティアとして受け入れてくれる場所を探しました。
そして向かったのが
オーストラリア、ケアンズ。
学校の寮や食事など、生徒のお世話をする住み込みのボランティアの仕事でした。
今思うと恥ずかしいほど英語も出来なかったし、子供だったし、
日本人とは思えぬ自由さで学校の皆さんに心配も迷惑もかけたな。ごめんなさい。
だけど何だかんだでかわいがってもらえて何とか生きていました。
そしてボランティアを終えて、
わたしもローカルに就職してみたい、
という気持ちが芽生えました。
でも特に出来ることもないから
困ったな、日本食レストランで日本人だけの日本語の環境では嫌だな、と思って
とりあえず求人を見たら
日本人ネイリスト募集、英語ができなくてもOKというものを見つけたんです。
あー、
日本人は器用で日本人ネイルアーティストは海外でも大事にされるんだな、
と気づいて
普通なら語学学校へ行き英語を習得してから就活をするところ、
ネイルのスクールに通いながら現地で働きました。
そして無事ネイルアーティストになれて、
2014年にはオーストラリアチャンピオンになったり芸能人を担当させてもらうなどキャリアを積みました。
日本の有名なジェルブランドで講師をしたりもしていました。
そして結婚、出産。
日本へ戻り主人がプロデュースするカフェレストランで最初はお手伝いのつもりでアルバイトをしていました。
飲食業界は今までやりたいと思ったことがなく未経験。
キッチンに入ってオーストラリア時代に同じ家に一緒に暮らしていたシェフ(一緒に暮らす親友の彼氏だった)の元、調理を教えてもらっていたら
あ、これってアートなんだな。
ネイルみたい!
お皿の上で
色を重ねたり
配置したり、
デザインすることが楽しい!
と思うようになりました。
そしてアジア人として海外で感じたコンプレックスを
アートにしてもっとより多くの人に伝えたいと思い
ASIAN RAD AFTERSを作りました。
正直スイーツじゃなくても
どんな手段でもよかったです。
アジア人のわたしがアジアから世界へ発信できる何かだったとしたら。
わたしの人生で二人の有名シェフと同じ家に住んだことがあるのですが、
1人はアルゼンチン人でロンドン、日本、オーストラリアの有名店でエグゼグティブシェフとして活躍した後、ビーガンブランドを立ち上げてビーガンミートなど商品を手掛けたら自身のレストランをしているアレハンドロ(オーストラリアの人なら有名だから知ってるかな)
彼の奥さんのビューティサロンで働いたご縁でお家に住まさせていただいていました。
ネイルのお客さんたちに彼の作る食事を毎日食べられるなんて羨ましい!!と言われるほどの有名シェフでした。
もう1人はわたしに調理を教えてくれた日本人でわたしの親友の元彼、
現在はオーストラリアで主に日本食レストランを監修したりしている草野さんです。
2人とも仕事に対する情熱と人に対するおもてなしがとてつもなかった。
心から調理や食材を愛していて踊るように仕事をしていたのを、ずっと横で見ていたことを覚えています。
そんな人の気持ちのこもった料理を食べたり、近くで教えてもらえたことを
本当にずっと感謝しているし感動しています。
フードはアート
食べることは生きること
おもてなしの心を表現すること
一皿から感動をつくること
いろんな事を学びました。
この2人に合わなかったら
わたしは今F&B業界にはいなかったかも。
あ、あとわたしを無理やり自分のレストランを手伝ってほしい!とお願いした今のわたしの旦那さん。
いろんなご縁があり
今ASIAN RAD AFTERSをしています。
コロナでみんなが大変な状況ですが、
お店へ足を運んでくださるお客様、
オンラインショップでお買い物をしてくださるお客様、
YouTube Channelを見てくださるお客様、
みなさまのおかげで
ブランドを続けさせていただけることに感謝しています。
23歳の時思い切って歯科衛生士を
やめたこと
27歳の時自分の人生ゼロからやり直すつもりで単身オーストラリアへ渡ったこと
結婚、出産して家族を作ったこと
アジア人女性として美しいアジアを世界に発信したい、とASIAN RAD AFTERSを立ち上げたこと
シンガポールへ家族ごと拠点を移したこと
いろんなことがあったけど
大きな選択に後悔はしていません。
もちろん大変だったこともあるけど
尊敬できる人たちに出会えたので
この道でよかったと思えます。
コロナが収束したらやりたいこと、
進んでいく大きなビジョンも見えています。
もう少ししたら
個人的にも新しい挑戦が始まりそうなのでそちらもぜひシェアさせてくださいね!
番組観てくださったみなさん
番組スタッフのみなさま
ありがとうございました✨
ASIAN RAD TEA COMPANY
重野 由佳