【体温を上げる】わたしのモーニングルーティーン

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こんにちは、ASIAN RAD TEA COMPANY YUKAです。

 

体温を上げるために私がやっていることを載せていこうと思います。

まずどうして体温をあげたいと思ったかというと、

毎日自分の意思なしに体温測定をされるからです。

そうして自分の意思なしに体温測定をされるの?意味がわからないという方が多いと思います。

私は今シンガポールに住んでいるのですが、ほぼ毎日体温測定をされます。

誰にって?

スーパーの店員さんやビルの警備員さん、まあ色々なところでされます。

体温測定とともにIDの提出も毎回求められます。

そう、コロナです。

コロナ対策が日本より厳しいシンガポールではロックダウンのような状態はすぎましたが今でもモールやスーパー、オフィスビルに入るときなど必ず体温測定とID(日本でいうと写真付きの免許証のようなもの)を提示しないと入館できません。

モールに入る時、そしてモールの中の各店舗に入る時も必要なのでこんなことを言うのは失礼ですが毎回とても時間がかかって大変です。

 

なので普通に暮らしていても外出すれば一日に何度も自分の体温を知ることになるのです。

そして自分の体温、思ったよりも低いなあと気づいてしまったのです。

 

低体温、で思い浮かぶのは免疫低下、病気になりやすい、身体の不調を感じやすい、など。

コロナでいつもより体調や免疫機能の向上を目指したいところですが私が計測で知る私の体温は36.0~36.5です。人間の体温は朝に低く、夕方になると高めになると言われているのでもちろん測る時間によってもだいぶ違います。

たまにもしかしたら計測ミスや機械の誤差かもしれませんが35度台をマークすることもありました。

仕事でお砂糖を使うものを食べたり外食することも多いので、

普段の食生活は生のジンジャーを使う料理を多くしたり、シナモンやターメリックなどのスパイスを入れたり白砂糖を使わない料理に気を使っています。

日本にいる頃よりはシンガポールの気候が暖かいこともあってかだいぶ手足の冷えは無くなったように感じますが、

体温としてはそんなに変わっていないのかもしれません。

体温が上がることで病気を防ぐことができるのはみなさん知っていると思います。

 

そこで私も体温を上げたいなと思うようになりました。

 

朝活で体温を上げる

一番体温が低い朝から体温を上げる活動をします。

 

まず朝起きて主人に子供をシャワーに入れてもらう

その間に歯磨き、ヨガウェアに着替え、子供の学校の準備

子供を着替えさせる

お水とタオルを持って子供と登校

子供を預けたら走って家のジムに直行

筋トレ20分、有酸素40分、計1時間のトレーニング

有酸素の時は走ったり疲れたら速度落として早歩きしたり疲れない程度。

そして早歩きの時にケータイでメールチェックして携帯ですぐに返せるメールは早歩きしながら返信しちゃう。その他SNSのチェックやオンラインショップのアナリティクスを見たりとか。

家に戻りシャワー、コンブチャ一本飲んで軽く朝食

 

というフローになります。

 

カリスマトレーナーのAYAさんが朝起きて1時間以内に運動するのが良いと言っていたから夜じゃなく朝にジムにいきます。

私は朝起きて1時間以内にはジムにいて筋トレ始めています。

 

ポイントは続けられること

続けていける、継続できる内容にするのが私なりのポイントです。

毎日のルーティーンにするため、朝起きたらまずヨガウェアに着替える。

そうすることでジムに直行できます。前は外に走りにいったりもしていたのですが外だと天候に左右されたり面倒になったりするので家(シンガポールのコンドミニアムはジムやプール、スチームサウナなどのファシリティーが付いています)のジムに行くことにしました。

 

そしてたった1時間だけ、と決めてトレーニングします。

2時間、3時間、もしくは腹筋何回、と決めるとどうしてもしんどくて毎日続けることが嫌になったりすると思います。私も含め人間は環境や感情によって影響されるし、すごく意思が弱い生き物だからです。

だから精神的にも体力的にもしんどくない内容と時間を考えると私にとっては1時間、でした。

1時間って区切ればそこまで体力を消耗することもないし、トレーナーが付いていなくても頑張れる。それ以上だと隣でガンバレーって言ってくれるパーソナルトレーナーが必要だと私は思いました。

筋トレ、1時間するのは私にとって結構つらいことなのですが、20分だったら頑張れます。

そして筋トレばかりだと辛いので、有酸素(だいたいランニングマシーン)で40分。

筋トレの時は携帯置いて触りませんが、

有酸素の時はたまに触ります。心地良いくらいのランニングを息が切れるまで続けて、疲れたら速度を落として歩きながらメールの返信をします。

ちょっと変かもしれませんが私は2つのことを同時にすることができたら時間を有効に使えている気がしてテンション上がります。

仕事の作業が早い方ではないからこう言った工夫が必要なのですが、

ランニング中はもちろん着替えやメイクをする時に、耳で聞き流せる情報(英語の勉強のために英語のスピーチやニュースとか)を流しっぱなしにするのも好きです。

 

この朝活を取り入れてどうなったかというと、

残念ながらまだ体温は上がっていませんw

でも一つ劇的に変わったことがあります

睡眠の質があがったとことです。

私は以前までベッドサイドに携帯を置いていて、寝る前や寝ていて起きてしまった時に携帯を見てしまう癖があって、その影響なのか眠れなくなることが多かったのです。

携帯を見すぎて眠れなくなると、ベッドからでてリビングか仕事部屋に戻りまた変な時間からラップトップを開き仕事を始める、ということが多々ありました。

もちろん朝は起きられないか身体の疲れが取れていないのでだるかったり。

その日はもちろん仕事ははかどりません。

私は息子のベッドに入る時間、夜8:30に一緒に寝るのですがもちろん眠れるはずもなくベッドに入って寝かしつけるまでもダラダラ、息子が寝てからもダラダラして携帯を見ていることも多かったのですが、

毎日1時間だけ、自分の身体にも仕事にも負担にならない程度に運動を取り入れただけで、すっと眠りにつけるようになりました。

そして夜しっかり睡眠が取れることで朝はすっきり、午前中から仕事もはかどるようになりました。

 

まだ体温が劇的に上がったわけではありませんが、

このままこの生活を続けて行くことができたら確実に筋肉量が上がり体温も上がってくると思います。

 

引き締まった身体になって綺麗に洋服を着たい、という願望ももちろんモチベーションの中にありますが

それより健康で長く仕事をしていきたい、人生を楽しみたい、というのが大きな軸にあります。

 

昔はただ食事を少なくするダイエットで細くなって華奢な身体になりたいと思っていたのに、30代、歳を重ねるってこういうことなんですね。

 

今は健康になりたいと心から思っています。

 

 

 

ASIAN RAD TEA COMPANY

 

 

 

 

 

 

【東洋医学】シンガポールでみるアーユルヴェーダと漢方 後編

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こんにちは、ASIAN RAD TEA COMPANY YUKAです。

 

少し時間があいてしまいましたが前回の続きを書いていこうと思います。

 

私は日本ではなくシンガポールに住みながら ASIAN RAD AFTERSというアジアンスイーツのブランドをしています。

なぜシンガポールに住んでいるかというと、

まずフランチャイズ店舗の出店オファーがあったからです。

 

今まで香港、台湾、ノルウェー、イギリス、アメリカなどからフランチャイズのオファーが来ました。ですが具体的に話が進んだのがシンガポールでした。

こんなにたくさんの国の方に興味を持っていただけたのは、インスタグラムでASIAN RAD AFTERSのインパクトのあるバブルワッフルの写真が各国のインフルエンサーから拡散されたことだと思います。

実際海外からのお客様も多いですし、アメリカ人のトップフーディーたちがお店にいらしてくれたこともあります。

そして私はシンガポールの店舗のオープンに合わせてお店のサポートのため日本からシンガポールへ移住した、という経緯です。

 

実際にシンガポールに住んでみると、

アジアのハブと言われる意味がとてもよく理解できました。

インドやマレーシア、中国など様々な宗教や文化、フードカルチャーが交差したこの場所は、私の仕事にとってもとても興味深く、学びが多い場所でした。

 

前回はシンガポールで体験した東洋医学、アーユルヴェーダのお話をしましたが、

今回は私がシンガポールに来てとても身近になった漢方のお話をしたいと思います。

 

私と漢方の出会いは、高校生のときでしょうか?

漢方の緑のラベルの便秘薬を友人含め持っていて飲んでいた気がします。

そして、10年来の友人が漢方薬剤師になったことが大人になってから漢方を飲むきっかけでした。彼女は芸能人御用達の大手美容系クリニックで漢方薬剤師としてたくさんの患者さんを抱えていました。

 

私は4歳になる息子がいるのですが、産後初めて産後うつのような状態に陥りました。

出産のご経験がある方や、そのご家族ならもしかしたらご理解いただけるかもしれないのですが、例えばすごく落ち込んだり、急に泣きたくなったり、怒りっぽくなったりしたのです。

今思うと、産後のホルモンバランスの乱れが大きな原因だったと想像できるのですが

その他にもなぜか産後に海外出張が多かった主人(思い出すと本当にムカついてくるw)や、

初めての出産だし手伝いに行くよ、と言ってれた遠くに住む両親に素直に手伝いをお願いしなかったこともあり

初めてのほぼ一人での子育てに対して色々なストレスやプレッシャーを抱えていました。

 

今となっては、なんで小さなことをあんなにネガティブに捉えて苦しんでたんだろう?と不思議に思うのですが、私は母乳が本当に少ししか出ませんでした。

病院では生まれてすぐの赤ちゃんに母乳を飲ませたら免疫がつくんだよと言われて出もしないのに頑張ってみてと言われていました。

なんで出ないんだろう?と悩んでいろんなところに相談に行ったり搾乳機をいろんなタイプ試してみたり、試行錯誤してみましたが理由もわからないし、たくさんご飯食べないと母乳なんて出ないんだから、と言われるがまま一生懸命ご飯を食べまくって無駄に太った時期すらありました。

病院に行ったって、検診に行ったって、みんなから聞かれる”母乳ですか?ミルクですか?”

”どうして母乳出ないの?”の何気ないセリフにいちいち傷ついていました。

 

そして産後うつや母乳が出ないことも漢方薬剤師の友人に相談してみました。

コンサルテーションシートを記入して問診をしていると、

あ〜鉄分が足りてないしもともと貧血でしょ?だから母乳出ないんだよ、お母さん自体血が足りてないからね。

と私が母乳が出ない原因を教えてくれました。

どうしてお医者さん教えてくれなかったんだろう、って思うぐらい親身に話を聞いてアドバイスしてくれました。

そして私の症状に合わせたオーガニックのオーダーメイド漢方を作ってくれたのでした。

漢方は、薬と違って今飲んで今治る、ということはなくて、少なくても1〜3ヶ月は続けてみてね、少しずつ症状が改善して行くと思うよ、

処方を変えることもできるから改善しているところや変わらないところはまた教えてね、と言われました。

そして3ヶ月後、ほとんどの産後うつの症状は緩やかに治まっていきました。

 

 

彼女の患者さんが絶えないのも、彼女の処方する漢方を飲み続ける芸能人が多い理由もとても理解できました。

症状や体質、困っていることをしっかり聞いてくれた上でオーダーメイドで処方してくれるから効果があったんじゃないかなあと思います。

加えて、彼女と話していると自分の体質を理解することができて漢方以外にも普段の生活からも改善していこうという気になりました。

アーユルヴェーダもそうですよね。

自分のドーシャ(エネルギーのバランス)から体質を知って食事を採ってバランスを調整します。

 

そんな日本での漢方体験を踏まえ、シンガポール移住。

スーパーにも屋台にも、いろんなところに漢方が根付いていることにまず驚きました。

中華系が多いシンガポールですから、もちろん中国の医学の病院もありますし、

漢方を取り扱うお店も多いのです。

 

ハーバルスープ(薬膳スープ)を販売する屋台、

レストランではバーリーウォーターがメニューにあったり、

ハーバルティーの専門店はいたるところにあり

スーパーには薬膳スープの生薬が売られている。

 

日本だと専門店に探しに行かなければ普通には売っていないような生薬が簡単に手に入ります。

中華系の家庭ではハーバルティーを家庭で煮出して作っているそうなのですが、

この環境だと作らなくてもすぐに買って飲むことができます。

シンガポールでは本当に漢方は身近だなと感じます。

このぐらい生活のそばにいてくれたら探さなくても当たり前に取り入れることができるのです。

 

日本と違って常温のお水を持ち歩くシンガポーリアン。

こんなに暑いシンガポールに住んでいても火鍋やハーバルスープを食べたり、温かい白湯を飲む中華系の人々。

はじめは信じられないと思うくらいシンガポールの暑さに参っていたのですが、

冷え性の私はこの土壌に慣れてしまうと手足が冷えないし、このフードカルチャーを取り入れると身体の調子がよくなりました。

 

これからもこの国でいろんな漢方を体験してさらに健康になりたいですし、

もっと知識をつけてASIAN RAD AFTERSのメニューにも私たちのブランドらしい形で取り入れてお客様にも美と健康をお届けしていきたいと思います。

 

 

ASIAN RAD TEA COMPANY

 

 

 

 

 

 

【東洋医学】シンガポールでみるアーユルヴェーダと漢方 前編

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こんにちは、ASIAN RAD TEA COMPANY  YUKAです。

 

わたしはシンガポールに来てからとても身近になった東洋医学、スパイスや漢方、生薬について勉強しています。シンガポールでの普段の生活の中に漢方や生薬、スパイスがたくさんあるからです。英語にはなりますが書籍など、日本語よりもたくさんの情報があります。

 

今日はシンガポールでみる東洋医学のお話をしたいと思います。

ちょっと長くなりそうなので、前編・後編に分けて綴っていこうと思います。

 

まず東洋医学とは何ですか?

というお話から。

 

世の中には大きく分けると西洋医学と東洋医学という二つの医学があり、

西洋医学は先進国のほとんどの国では主流で、投薬や手術といった方法で治療していく医学です。

そしてこれに対して東洋医学は漢方などの生薬、アーユルヴェーダ、鍼灸などといった方法で体の内側、根本から不調を治していく、という医学です。

状態によっては今すぐに手術をした方がいい場合や、体に負担をかけずにゆっくりと生薬で治療していくなど個人的な好みや判断もありますしどちらが良いとは一概には言えないと思います。

 

わたしが個人的に言うなら、

緊急の場合や大きな病気の場合は西洋医学、小さな不調や短期的な不調なら東洋医学を選びたいです。

もともと小さい頃から母がマクロビ気質だったことや祖母が農業をしていたこともあり、

家で野菜や生薬を使って風邪を治す、なんてことは当たり前にありました。

小さい頃てんかんの症状があったわたしは母に連れられて温泉(湯治)へ行ったりもしていたそうです。

大人になって痛み止めを飲んで仕事をすることがたまにありましたが、

それ以外はあまり薬を買ったり飲んだりしたことはありません。

 

シンガポールに来てから出会ったアーユルヴェーダ

アーユルヴェーダ、もともと美容業界で働いていたのでもちろんその言葉は知っていたのですが実際に体験したことはなく、

何となく日本にいるときは医療というよりはエステティックやマッサージの枠で捉えていました。

そんなわたしがインド系のシンガポール人やインド出身の方も多く住んでいるシンガポールで

世界最古の医学、アーユルヴェーダに出会いました。

 

5000年の歴史を誇る、インド・スリランカの伝統医学です。

5000年ってすごくないですか?

アーユルヴァーダの治療院で有名なところがあって通っている、という友人からの口コミで初めて治療院へ行きました。

治療院、ですよ、マッサージではなくて。

通っている方は主にインド系の方だし、先生や受付のスタッフもインド系なのですが、中にはそうでない患者さんもいました。

直接コンサルテーションの時に先生に日本人の患者さんもすごく多いよ、とお伺いしました。

まず受付をしてコンサルテーションを先生にしてもらい、その判断で別の個室での治療が行われていく感じ。

 

コンサルテーションルームに入って先生に挨拶をすると、

あ〜あなたピッタ!そしてちょっとだけカッパ。

とすぐにドーシャ(アーユルヴェーダでいう生命エネルギーのバランス)を言い当てられました。調べていたので自分的に完全にピッタ( 火と水の元素を持ち、基本的に激しい性質)だろうなと思っていたのでやっぱりそうなんだ、と思いました。

そして、

どうしてわたしを見ただけでわかるの?!(顔が派手だからですか?という意味も含む)

と率直に聞いてみると、

顔や肌を見ればわかるよ、ほら、ほくろたくさん、ね、あなたピッタ。

と言われました。

確かにわたしは日焼けしやすいし、ほくろもたくさんあります。

そのあと舌を見てもらい、気になる症状を話したところ、

ストレスあるね、今日はシロダーラやってみて。

ということになり別部屋で人生初のシロダーラを受けることに。

額からオイルをかけられる、あれです。

 

実際一回で効果があったのかは正直わかりませんw

ただ額から頭部をオイルが伝っていくのと同時に頭の中にあるストレスが流れていくようなリラックスした雰囲気は感じました。

 

治療にはシロダーラの他にもマッサージなどもあります。

 

シンガポールに来たばかりの時

エジプト出身の友達に、生理痛でお腹が痛い、という話をしたらターメリックラテが飲めるカフェに連れていってくれました。

痛み止でターメリックを薬みたいに飲むんだよと言われて飲んで効果を感じてからは、

ターメリックラテをよく飲むようになりました。

(生理痛があっていつも鎮痛剤を使う女性の方に本当にオススメしたい)

ターメリックはアーユルヴェーダで頻繁に使われる重要なスパイスの一つです。

 

ターメリックの鎮痛作用を自分の身をもって感じてから、生薬・スパイスって天然の薬なんだなということが深く理解できてそれからスパイスについて学ぶようになりました。

 

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こちらはスパイスを科学的に分析・分類してブレンドしたり生活にと入りれるためのTipをまとめてくれている書籍。

 

わたしの持ち合わせている英語力だと

スパイスの勉強の前にまず英語の勉強になってしまうのが少々残念なところではありますが、

それにしても興味深く探究心が湧いてくる内容です。

 

例えばスパイスを使ったスパイシーホットチョコレートやバブルティーのアラビアンナイト、

漢方の概念から作ったライチティーなど

ASIAN RAD AFTERSのメニューにもこの東洋医学やスパイスを盛り込んでいます。

 

わたしがシンガポールやアジアで学んだことや体感したことを日本でも知っていただけるように日々大阪新町店と連携を取りながらメニュー展開を考えています。

 

 

シンガポールでの漢方のお話を含めたお話を後編でしていきたいと思います。

続きも読んでいただけるとありがたいです。

 

 

ではまた。

 

https://asianradafters.com

 

 

 

 

初めてのヒジャブ

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こんにちは、ASIAN RAD TEA COMPANY YUKAです。

 

この写真、びっくりしましたか?

実は私、先日初めてヒジャブをつけて歩きました。

 

ヒジャブ、とはイスラム教の女性が宗教上の理由から毛髪を隠すためのつける布です。

ヒジャブの他にもニカブなどもっと顔も全体的に隠すタイプもあります。

 

私は今シンガポールに住んでいるのですが、

シンガポールは多国籍国家でありたくさんの国籍や人種、宗教を持つ人たちが暮らしている国です。

ヒジャブをつけた人を見たことがない人なんてシンガポールにはいないと思います。

職場にも必ずと言っても過言ではないぐらいイスラム教の方がいます。

日本ではあまり見たけたことがない方がいるかもしれませんが、シンガポールやマレーシア、インドネシアなどでは本当に当たり前の光景なのです。

 

さて、どうして今回イスラム教ではない私がヒジャブをつけたのか、です。

私のお店のスタッフや、コンサルや商品開発でお世話になった現地の企業にももちろんイスラム教の女性はいて、仲の良い友人にもいます。

その中で友人のしていることが気になってラマダン(イスラム教の断食月)を経験したりして来ましたが、ムスリマ(イスラム教の女性)のヒジャブやニカブがどうしてかエキゾチックでミステリアスに見えていて、私もいつかつけて見たいなあと密かに思っていたんです。

 

そしてCB(シンガポールの軽めのロックダウン)が段階的な解除のフェーズに入り、

外出ができるようになってすぐムスリマの友人に連絡すると、

ヒジャブのお店で働いているから遊びにおいで!と言ってくれました。

 

当日、ムスリマメイクを意識していつもより濃いめのメイクをして、

暑いけれど長袖を持ち、(肌を露出できない)

ドキドキしながら友人の働くお店へ行って来ました。

 

白を基調とした明るい店内、

友人の他のスタッフも全員気さくに話しかけてくれとても居心地が良かったです。

実際私はイスラム教ではないので場違いかな?とも少し思ったのですが

そんなことはなくとてもHappyな接客で出迎えてくれました。

 

そしてカラフルでたくさんの素材のヒジャブを何度も試着させていただき

お気に入りのパープルがかったブラウンのヒジャブをGETしたのでした!

 

選んでいる時間、試着させていただいている時間はいつものお洋服を選んでいる時間と何ら変わりなかったです。

『ねえ、これってすごくファッションだよね?』

と私がいうと

即答でYes,オフコース。

 

やっぱりそうなんだと思って、

何だか勝手に厳しそうって想像していたムスリムなのに

みんなとても明るくてキラキラした表情をしていたのが印象的。

 

インナー(ヒジャブをかぶる前に髪の毛をまとめるためにかぶるもの)や、

ヒジャブの巻き方などいろいろ教えてもらって、

最後は購入したヒジャブを頭に巻いてもらい、アラブエリアを散歩しながら帰宅したのでした。

 

思ったより暑くなかったことに自分でもびっくり。

どちらかというと、個人的にはヒジャブを巻いた頭より長袖を着た体の方が暑かったです。

 

他のムスリムの友人たちに写真を送るとみんな『似合う!!』と

言ってくれてすごく嬉しかったです。

中東出身のムスリムの友人には、

アジアのムスリムと中東のムスリムでもヒジャブの巻き方や着こなしが結構違うんだよ、

と教えてもらいました。

 

なるほど。奥が深いです。

 

最近ではハナ・タジマがムスリム向けのファッションでユニクロとコラボしたり、

ラハマリア・アウファ・ヤジッドさん

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/aufa-tokyo

というインドネシア出身で日本在住のムスリムのファッションインフルエンサーなど

日本でもちらほらムスリムの話題を聞くことが少しずつ増えてきた印象です。

 

先日アウファさんの日本語とインドネシア語のインスタライブを視聴させて頂いたのですが

ヒジャブとハットを合わせるスタイルやストリートスタイルのコーデなど、

ヒジャブのつけ方やファッションにもこんなにバリエーションがあって宗教を超えてファッションを楽しんでいるんだなというのが伝わって来て、とても勉強になりました。

 

同じ女性として私はムスリムの友人からヒジャブをつけていることで

外国で差別されたことがあるという話を聞いて本当にショックでした。

わたしはたまたま日本人の両親のもと日本で生まれ育ちましたが、

シンガポールでムスリムの両親から生まれた子だったかもしれません。

そのような少しの違いで自分がそういう目で見られたらどんな気持ちだろうな、心が痛くなりました。

ヒジャブをかぶっていようがいまいがわたしには関係なくて、友達は友達だし、

スタッフはスタッフ。

 

信仰が違ったり国籍や肌の色が違ってもお互いを尊重しあいながら付き合うことが

普通で当たり前のことになるといいなと心から思います。

 

ヒジャブをかぶってみたことで

わたしはちょっとだけ友人たちのことを知れたような気がしました。

今まで一度も同じ宗教になってよ、なんて言われたことはないのですが、

ヒジャブをつけたわたしを見て

みんな笑顔で「似合うよ〜!」と言ってくれて単純に嬉しかったのでした。

 

こうやって友達が増えていくと、

世界は広いようで狭いんだなと思わせてくれます。

もっと知らない世界を見てみたくなりました。


実際にわたしがヒジャブを選んだ動画はこちらをご覧ください⇩

 https://m.youtube.com/watch?v=31hxG_5Dc04


http://asianradsfters.com/

 

 

 

 

 

 

 

私がお酒をやめることができた【3つの理由】

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こんにちは、

ASIAN RAD TEA COMPANYのYUKAです。

 

こちら、シンガポールはサーキットブレーカー(軽いロックダウン)が段階的な解除のフェーズ2に入り、レストランのダインイン、エクササイズや食材の買い出し以外の外出もOKになりました。

5人以上で集まることなど、まだ全てのことがサーキットブレーカー以前と同じようにできるわけではありませんが、それにしてもみんなが待ち望んでいたことだと思います。

 

ただ、2ヶ月半の間ほとんどの時間家にこもりっきりだったので、そんなサーキットブレーカーの生活にも慣れてきてしまいました。

いいことも悪いことも、人間って慣れてしまうんですね。

 

 

タイトルの

【私がお酒をやめることができた3つの理由】についてお話ししていきたいと思います。

 

突然ですが、わたし、お酒をやめました。

 

やめたくてもやめられないことって人生にたくさんあると思うのです。

例えばお酒、タバコ、あと癖なんかもそうかなと思います。

 

わたしの場合、実際お酒が好きすぎて、辞める気はサラサラなかったのですが、なんと自然に辞めることができました。

以前のわたしがどれだけお酒が好きだったかというと、こんな感じ。

 

昼からでも飲みたい

仕事がなければ絶対飲みたい

誘われた飲み会には必ず参加

二件目ももちろん参加

できれば夜は毎日飲みたい

ワインがない生活は考えられない

家には必ずワインのストック

ワイン中心に食事の献立を決める

 

などなど。

どれぐらい好きかお分かりいただけたでしょうか?

 

実際スタッフとカフェに行ってもわたしはワインを頼むことが多かったです。

 

そんなわたしが自然とお酒を辞めることができた3つの理由

 

まずは1つ目

【シンガポールのサーキットブレーカーによる飲み会のお誘いの消失】

 

シンガポールは四月の上旬からコロナ対策によりサーキットブレーカーという措置がとられました。簡単にいうと家族以外の人と会ったりできない、エッセンシャルワーカー以外は仕事も自宅、食料の買い出しやエクササイズ以外の外出は避ける、マスク着用での外出、レストランはデリバリーかテイクアウェイのみ、といったところでしょうか。

わたしは仕事や友人からのお誘いが続くと多いと週に3,4回の飲み会もしくはレストランでの外食でお酒を飲む機会がありましたが、サーキットブレーカーで飲食店での店内飲食ができなくなったり、家族以外の人と会ってはいけないことからシンガポールでの飲み会は完全になくなりました。

サーキットブレーカー初期の頃、オンライン飲みが日本でも流行したこともあり日本やオーストラリアの友人とはオンライン飲みとしました。

はじめのうちは家にこもりっきりなので夕食を豪華に作ってそれに合わせてワインを買って、ということも多かったのですがだんだんそれにも飽きたり、

家にいてばかりで身体は太っていく一方なので外で家族でランニングをしたり、

一日の大半の時間を家で過ごすためヘルシーな食生活にするよう気をつけたりするようになりました。

 

二つめの理由

【ラマダンを1ヶ月体験してみた】

ASIAN RAD CHANNEL(YouTube)やこちらのブログの過去の記事をご覧になっていただいたことがある方は知っていると思いますが、わたしは四月の後半から1ヶ月に渡るラマダンを体験してみました。

ラマダン、とはイスラム教徒が一年に一度行う行事で、イスラム教徒も多く住むシンガポールでも一年に一度当たり前に見る光景です。

わたしはシンガポールのアラブエリアにお店を構えていたこともあり、シンガポールにきてからスタッフも含めムスリムの友人が多いのです。

そして今年はサーキットブレーカー中にラマダンの時期が訪れました。もちろん友人たちはラマダンをするし、家にこもりっきりでやることもないし、友人がどんなことをしているのか知るいい機会だなと思い、わたしはイスラム教ではないのですが1ヶ月のラマダンを体験しました。

具体的に何をしたかというと、一日に5回(厳密にいうとラマダン中は6回)の礼拝、

日中の断食、悪口や噂話をしない、人に親切にする、寄付を行う、などです。

ここで一つ知らない方がいるかもしれないのでお伝えするのですが、基本イスラム教はアルコールと豚肉の摂取が禁じられています。

なのでこのラマダン中はもちろん1ヶ月間完全に禁酒をしました。

お酒が大好きなわたしは初めとても辛かったです。でも、お酒を飲めないことより日中水を飲めないことの方がしんどかったのです。

あと一日5回の礼拝。これもわたしの今までの習慣にはなかったので生活の中に組み込むのは本当に大変でした。

でもハッキリ言って最後の方はアルコールを飲みたいなとかそういうことは全く思っていませんでした。1ヶ月のラマダン生活に慣れてしまっていたからです。

それでもラマダンが明けた後のアルコールは、さぞ美味しいんだろうなという期待は常にありました。ラマダン中はアルコールをやめられていても、終わったら飲むし、こんなにもお酒が大好きな人がお酒をやめられるはずがないと自分自身で強く信じていました。

 

三つ目

【コンブチャとソーダストリームなどお酒に変わる代替え飲料を飲んでいた】

お酒が好きだったわたしは、お酒に似たノンアルコール飲料も好きでした。

例えば強炭酸水や炭酸飲料など

もともとフレーバーなしの炭酸が好きでペリエを冷蔵庫にいつも入れていたこともあり、ラマダン中わたしがお酒を飲まないことを可哀想に思った主人がソーダストリーム(家で炭酸水を作る機械)を買ってきてくれました。

毎日飲むペリエの瓶がたくさんゴミになってしまうことや、購入するときにとても重いことも気にかかっていたのでソーダストリームを購入して本当に良かったです。

毎日結構な量飲むのでコストも安くなりました。

そして、コンブチャ

みなさんコンブチャって知っていますか?昆布茶、ではなくKOMBUCHAです。

ミランダカーなど海外セレブが愛飲していることで知っている方もいるかもしれません。

わたしはこのコンブチャを瓶に入ったパッケージでスーパーで購入して飲むことが多かったのですが、サーキットブレーカーで時間があった為シンガポールでも作ることにしました。

SCOBYと呼ばれる菌株と茶葉、お砂糖を使って乳酸菌や様々な菌を含んだお茶、コンブチャを作ります。

ヨーグルトや納豆、キムチなどのような発酵の健康ドリンクです。

このコンブチャ、日本でも以前流行ったり、アメリカや欧米地域で定着してきていますが発祥はモンゴルとかロシアなど、アジアだと言われています。

発酵させていくとリンゴ酢のようなフルーティーな香りと、アップルサイダーのような炭酸がとても美味しいのです。

わたしは自分で作ったコンブチャとソーダストリームで作った炭酸水を1:1で割って毎日一杯飲んでいます。

 

 

この三つの理由が偶然同じ時期に重なり、お酒を辞めることに勝手に成功したのです。

と言っても全く辞める気などなかったのですが、

ラマダン明け、美味しいだろうなと期待していたビールが、美味しくない。

美味しいと思わない

わたしが変わったのか、ビールが変わったのか。

主人に聞いて見るとビールの味はいつも通り。

結局ビールを一杯も飲み干すことができず主人にあげました。

 

おかしいな、

お酒大好きなわたしが一杯も飲めないなんて。

体調でも悪いのかな、と思ったのですがそんなこともない。

 

次の日シャンパンを飲んでみることに。

乾杯

1ヶ月ぶりの大好きなシャンパンはさぞ美味しいだろう!

 

・・・・・・・・・

あれ

あんまり美味しいと感じない

 

自分の好きな銘柄なのにそれでも一杯で終わりました。

そして次の日いっぱいしか飲んでいないのにいつもとは違う体のだるさを感じました。

 

そして自然と飲まない日が当たり前になり、

勝手に禁酒成功

 

わたしお酒やめたんだよ!というと友人たちは本当にびっくりしていました。

サーキットブレーカーやラマダンを通してわたしは健康になったような気がします。

 

コンブチャをシャンパングラスに入れるとシュワシュワしているしお酒みたいです。

最近のわたしはアルコールでなく炭酸水やコンブチャで十分に楽しめるようになったのです。

 

昔なら、お酒の席でいつも言えないようなことをお酒の勇気を借りてクライアントや上司に言ってみる、とかそういうことが多少なりともあったと思います。

でも、お酒をやめた今は、お酒の力を借りずとも言いたいことや言わないといけないことは言おうよ、と過去のわたしに言いたいです。

酔っ払って判断を誤る、酔っ払った勢いで決めてしまう人生なんて嫌だなと今は思います。

 

逆にいうと

上手に食事とのマリアージュを楽しんだり、場を和ませ関係が深まる、それこそHappyなお酒ならとてもいいなと思います

そういう席ならすごく参加したいです。

 

以前UAE大使館のナショナルデイのパーティーにご招待していただき参加したのですが、

全員がアルコールなしで盛大に盛り上がって楽しめたパーティーは

大人になってからそれが初めてのことでした。

 

すごく不思議だなと思っていたのですが、

今のわたしならお酒がなくてもいろんなことを楽しめる、と思うとそれはそれでとてもHappyなのです

 

 

http://asianradsfters.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンガポールでの長い長い#stayhome

こんにちは。

 

ASIAN RAD TEA COMPANY

YUKAです。

 

私は今シンガポールに住んでいるのですが、コロナ対策のためシンガポールは4月の初旬からサーキットブレーカーという政策に入っていました。

 

エクササイズと食材の買い出し以外は外に出ない生活も、もう軽く2ヶ月経ちました。

最初は慣れなくて大変なこともありました。

私には4歳になったばかりの息子がいるのですが学校ももちろんお休みだし、私の海外出張もないし、これからの人生でここまで息子とずっと一緒にいる期間はないんじゃないかと思いました。

だからこそ家族で過ごせる時間は逆にありがたいなあと思うようにもなりました。

 

6月に入ってから段階的にこの政策は解除へ向かっていますが、

息子の学校は先週からマスク着用、シャワータイムなしでスタートしました。

シンガポールは暑いからか、毎日先生がシャワーに入れてお着替えをしてくれます。

家でのシャワーはすごく嫌がっていたのですが学校でするようになってからだいぶ泣かずにしてくれるようになりました。

 

そして今週金曜日からテイクアウトとデリバリーのみだったレストランなど飲食店の店内での飲食と、小売などの店舗がやっとオープンします。

 

あー嬉しい!

 

サーキットブレーカー中に外食のありがたさを感じました。

お母さんたち大変だったと思う・・・

一日3食×@;sdojfsodhfgpsodaihs@ipfhvk/////・・・・・・・・

ぎゃー。

恐ろしい数の食事の準備と食器洗い。

 

外食とかスイーツ、ティータイムって身近だけど大きな意味を持つ気分転換。

イタリアン、中華、日本食、、、、気軽に行ける旅行みたいな体験でもあると思う。

 

今だったら一度のレストランでの食事を思いっきり楽しめる自信がある。

 

自分が作ってないものを食べたい・・・w(心の声)

 

テイクアウトやデリバリーはもちろんずっとあったし、

味も店主の人柄もすごく大好きなお蕎麦屋さんがあるのでそのお店にはデリバリーという形でも貢献したいな、と思ったりもしたのですが、

なんせこの国もプラスチックごみの多さ。

今このコロナの時期に自分の家から容器を持って行って、

これに入れてくださいっていうのもそれはそれでこの時期は迷惑だよなとも思って、

テイクアウトもほぼせずに自炊をしていました。

 

シンガポールはテイクアウトやデリバリー、屋台も一般的なので使い捨てプラスチックが多いのです。

MBS(マリーナベイサンズ)がごみの埋め立て地だというのは有名な話です。

私もシンガポールでASIAN RAD AFTERSの店舗に立っていた時はよくお客さんから、

 

イートインするから、プラカップ以外の容器はある?とか

自分のスプーンを使うからスプーンはいらないよ、とか

このタンブラーに入れてください

ストローなしでいいよ

などたくさんお声がけいただきました。

たまに

ストロー洗っていい??っていうのもありました。

 

使い捨てプラ容器を使うお店も多いし使う人ももちろん多いのですが

それを気にしてストローやカトラリー、

マイタンブラーを使う人たちは日本より多かったです。

わたしも含めてお店に立っていてこういうことを日本では言われなかったなあ。

 

母がマクロビ思考だったことや

オーガニックエコフレンドリーが根付いているオーストラリアに住んでいたので、

その辺りからエコフレンドリーなものを選んで使ってはいたのですが、

少しずつ私にもできる、ASIAN RAD AFTERSにもできることを探して

いろんなプロダクトを試したり

使い捨てではないものに変更していったりいています。

 

話が外れてしまいました。

 

外食や外食ができるようになる!やったー!

と思って、

他のシンガポーリアンの友人のSNSでの投稿を見ていたら大体の人は喜んでいるのですが、

何人かの人が

”2ヶ月以上ものこの生活をしていて、よくも悪くもこの生活に慣れてしまった!”

”どうやってソーシャルに戻っていいのか戸惑う”

という意見もあげていてなるほどな、考えて見たら私もそうだなって思ってしまったのでした。

 

めちゃくちゃ明るくて友達が多くて、

職業は営業職で毎日クライアントのところへ行ったり友人と会ったりしていたアクティブな友人が、

この生活してから誰にも会ってなくて鬱っぽくなってきたよ、この仕事をしていてこれは自分の仕事ではなくて生きがいだったんだって気がついた

と弱音を吐いていたのも印象に残っていて、

明るくてアクティブだった人ほどしんどい期間だったんだろうなと思いました。

 

私はといえば、

子供や家族と一緒にできることを模索して

それを実行したサーキットブレーカーでした。

 

私の場合、日本とシンガポールで離れているのでずっとリモートだったわけですが、

クライアントさんなどもZoomでの商談やミーティングも当たり前になってきたので私としては海外との仕事がしやすくなりました。

ASIAN RAD TEA COMPANYとしてもこの期間、渡航できなかったベトナムインドネシア企業女性ともオンラインを通して接点を持てたり取り組みができ、

少しずつではありますがブランドとしても成長できそうだなという光が見えてきました。

 

オンラインで何かできることはないかとこのブログを始めたのも、

シンガポールでのサーキットブレーカー中のことでした。

 

巷ではアフターコロナ、など言われていますが

私としては今一度、

飲食やライフスタイルを通して身体の健康・心の健康をスタッフとともに考え実行し、

それをブラントにも表現していけたらなと思っています。

シンガポールに住んでいると

漢方薬膳ハーブアーユルヴェーダスパイスといったような様々なアジアの食文化や生薬が根付いているので、ありがたいことに日々東洋医学に対しての学びが増えていきます。

 

ということで大阪店スタップもシンガポールの私も、

菌活をすべくコンブチャのSCOBYを購入いたしました。

早くも愛着が湧いてきて、育てていくのも飲むのもとても楽しみです。

 

 

 

 

YUKA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転職しまくりの人生

こんばんは。



金曜日、関西テレビよ〜いドン!を観てくださった皆様ありがとうございました。


インスタグラムのフォロワーが増えたり、インスタグラムにDMが届いたり

友人から観たよ!と連絡が来たり、

うれし恥ずかしでした。


おしえて凄腕ワーカーという仕事人を追うコーナーに密着していただいたものを放送していただいたのですが、


観てくださった方はお分かりかと思いますがわたしのまあ華麗な転職歴w


今となってはもう忘れかけていましたが

わたしは歯科衛生士の学校を出て、国家試験に合格し、歯科衛生士として地元の歯科医院で3年間勤務していました。

院長先生、

優しかったしお世話になったなあ。

新卒の何にも仕事が出来ない私を雇ってくださって社会人にして下さり、

本当に感謝しています。


ただ、歯医者さん以外全員女性という環境が好きだったかと言えば

完全にNOです。


仕事内容ではなく女性特有の人間関係に疲れていました。理不尽な事を言われることもすごく多かったし息苦しかった。

そして何より、

歯科衛生士として独立開業は出来ないという将来が小さく思えてきて、

仕事を覚えれば覚えるほどに焦りを感じていました。

歯科衛生士としてどうなりたいのかもどこを目指していいのかもわからない。

そんな20代前半でした。


だいぶ大人になった今昔の自分に思うのは

精一杯頑張ってたんだねってこと。


もがきにもがいた挙句、

3年働いても今と同じ気持ちだったら歯科衛生士は辞める。と心に決めて

趣味や新しい人間関係を模索しながら

夢中になれるものを探しました。


今まで知らなかったジャンルの音楽を教えてもらったり、

地元以外に仲のいい友達を作ったり。


そんなこんなでお世話になった歯医者さんは卒業し、

色々やってみたけど

それでもやりたい事は見つからず。


わたし、このまま30歳を迎えるのかなあ?

結婚して、子供を産んで、

そんな感じで時間が流れるのかな?

やり残したことは?

これからの人生どうする??どうしたい?


東日本大震災の後だったこともあり

いろんな意味でこれからの生き方に悩み葛藤していました。


今までやったことがないことをやってみたい、

そしたら自分の人生変わるのかな?

そうして見つけたのが


海外でボランティアをする、

ということ。


インターネットを駆使して調べて調べて調べ尽くして、

英語もできないわたしをボランティアとして受け入れてくれる場所を探しました。


そして向かったのが

オーストラリア、ケアンズ。

学校の寮や食事など、生徒のお世話をする住み込みのボランティアの仕事でした。


今思うと恥ずかしいほど英語も出来なかったし、子供だったし、

日本人とは思えぬ自由さで学校の皆さんに心配も迷惑もかけたな。ごめんなさい。

だけど何だかんだでかわいがってもらえて何とか生きていました。


そしてボランティアを終えて、

わたしもローカルに就職してみたい、

という気持ちが芽生えました。


でも特に出来ることもないから

困ったな、日本食レストランで日本人だけの日本語の環境では嫌だな、と思って

とりあえず求人を見たら

日本人ネイリスト募集、英語ができなくてもOKというものを見つけたんです。


あー、

日本人は器用で日本人ネイルアーティストは海外でも大事にされるんだな、

と気づいて

普通なら語学学校へ行き英語を習得してから就活をするところ、

ネイルのスクールに通いながら現地で働きました。


そして無事ネイルアーティストになれて、

2014年にはオーストラリアチャンピオンになったり芸能人を担当させてもらうなどキャリアを積みました。

日本の有名なジェルブランドで講師をしたりもしていました。


そして結婚、出産。


日本へ戻り主人がプロデュースするカフェレストランで最初はお手伝いのつもりでアルバイトをしていました。

飲食業界は今までやりたいと思ったことがなく未経験。


キッチンに入ってオーストラリア時代に同じ家に一緒に暮らしていたシェフ(一緒に暮らす親友の彼氏だった)の元、調理を教えてもらっていたら


あ、これってアートなんだな。

ネイルみたい!


お皿の上で

色を重ねたり

配置したり、

デザインすることが楽しい!

と思うようになりました。


そしてアジア人として海外で感じたコンプレックスを

アートにしてもっとより多くの人に伝えたいと思い

ASIAN RAD AFTERSを作りました。


正直スイーツじゃなくても

どんな手段でもよかったです。

アジア人のわたしがアジアから世界へ発信できる何かだったとしたら。


わたしの人生で二人の有名シェフと同じ家に住んだことがあるのですが、


1人はアルゼンチン人でロンドン、日本、オーストラリアの有名店でエグゼグティブシェフとして活躍した後、ビーガンブランドを立ち上げてビーガンミートなど商品を手掛けたら自身のレストランをしているアレハンドロ(オーストラリアの人なら有名だから知ってるかな)

彼の奥さんのビューティサロンで働いたご縁でお家に住まさせていただいていました。

ネイルのお客さんたちに彼の作る食事を毎日食べられるなんて羨ましい!!と言われるほどの有名シェフでした。


もう1人はわたしに調理を教えてくれた日本人でわたしの親友の元彼、

現在はオーストラリアで主に日本食レストランを監修したりしている草野さんです。


2人とも仕事に対する情熱と人に対するおもてなしがとてつもなかった。

心から調理や食材を愛していて踊るように仕事をしていたのを、ずっと横で見ていたことを覚えています。

そんな人の気持ちのこもった料理を食べたり、近くで教えてもらえたことを

本当にずっと感謝しているし感動しています。


フードはアート

食べることは生きること

おもてなしの心を表現すること

一皿から感動をつくること


いろんな事を学びました。



この2人に合わなかったら

わたしは今F&B業界にはいなかったかも。


あ、あとわたしを無理やり自分のレストランを手伝ってほしい!とお願いした今のわたしの旦那さん。



いろんなご縁があり

今ASIAN RAD AFTERSをしています。


コロナでみんなが大変な状況ですが、

お店へ足を運んでくださるお客様、

オンラインショップでお買い物をしてくださるお客様、

YouTube Channelを見てくださるお客様、

みなさまのおかげで

ブランドを続けさせていただけることに感謝しています。



23歳の時思い切って歯科衛生士を

やめたこと


27歳の時自分の人生ゼロからやり直すつもりで単身オーストラリアへ渡ったこと


結婚、出産して家族を作ったこと


アジア人女性として美しいアジアを世界に発信したい、とASIAN RAD AFTERSを立ち上げたこと


シンガポールへ家族ごと拠点を移したこと



いろんなことがあったけど

大きな選択に後悔はしていません。


もちろん大変だったこともあるけど

尊敬できる人たちに出会えたので

この道でよかったと思えます。


コロナが収束したらやりたいこと、

進んでいく大きなビジョンも見えています。



もう少ししたら

個人的にも新しい挑戦が始まりそうなのでそちらもぜひシェアさせてくださいね!



番組観てくださったみなさん

番組スタッフのみなさま

ありがとうございました✨




ASIAN RAD TEA COMPANY

重野 由佳